数年ぶりの大雪が教えてくれたこと

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昼に降り出した雪は夜になってもやむ気配を見せず、案の定というか、予定通りというか、とにかく僕が通勤で使っている路線のダイヤを麻痺させ、いつもより仕事を早めに切り上げて乗り込んだ電車も途中の駅でピタリと動かなくなってしまった。

あいにく僕にはぎゅうぎゅう詰めの車内に耐えるだけの体力は残っておらず、早々に諦めて止まった駅で下車し、近くの喫茶店で時間をつぶすことにした。

読みかけの佐藤正午の小説を開き、降りしきる外の雪に時折目を向けながら、「帰れるのかしら」と不安を感じている頭のかたわらで、「なんだかこの時間は贅沢だな」と高揚している自分がいることに気付いた。

こんなことがなければまっすぐに家に帰り、今頃テレビのバラエティ番組を見るともなく流しながらご飯を食べている時間だ。

「動けない」という不自由さの中で、手持ち無沙汰な時間だけが手元にあることに「自由」を感じるというのは、なんだか皮肉めいていて面白い。

自由。
いつからか、というか年々その言葉を口にすることに及び腰になってきている。
まっすぐで力強いイメージを伴う自由は、そのひたむきさ故に眩しすぎて目をそむけさせることがあるようだ。

そんなことをぼんやり考えているうちに電車のダイヤは復旧した。
責務を終えたようにガラガラになった車内には、ぽっかりと自由が漂っているように見えた。

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勢いを落とすことなく夜通し降り続けた雪は、翌朝カーテンを開けた僕の前に真っ白に輝く世界を用意してくれた。

「きれいだ」と思うのはほんの一瞬で、この雪では交通機関は確実に乱れているだろう、滑って転ぶ可能性もある、実際に数年前の大雪のときには盛大に転んだし、などと苦い記憶を呼び起こすうちにすっかり僕の目に映る雪は輝きを失い、しまいには会社に行くことすら億劫になり、それでもサラリーマンらしくしっかりと準備をして、ため息とともに玄関のドアに手をかけた。

ドアを開けた途端、マンションの廊下をドカドカと走り回る音が、僕のいるひとつ上の階から鳴り響いた。そこにこどもたちの嬌声が重なる。

「わぁ!雪だ」
「雪だるま作ろう!」
「いや。雪合戦だ!」

どんな表情で話しているかはわからない。
けれどありあまる「楽しい!」を爆発させた声であることはわかる。
あまりの楽しそうな「合唱」に僕は思わず足を止め、耳を傾けた。
「あぁ。彼らは自由なんだな」そう思った僕の頬は自然と緩んでいた。

楽しいから自由なのか。自由だから楽しいのか。それはわからない。
けれど確実に言えることは、子どもたちはただ目の前の雪に夢中になっているということで、そしてその夢中さに僕も乗せられ、今はとても気分がいいということだ。

自由なんてそもそも目指し獲得するものではなかった。
ただ、ただ目の前のことに夢中になるだけで、僕らはこんなにも自由になれるんだ。

数年ぶりに降った大雪はシンプルで大切なことを教えてくれた。

綺麗に澄み渡った青空が連れてきたキンとする空気を頬に感じる。
まだ誰にも踏まれていない真っさらな雪に足を乗せる度に鳴る「ギシ・ギシ」という心地よい音に耳を傾け、しばし足元に夢中になりながら僕は駅へと歩く。

ゆっくりと一歩ずつ、今を楽しみながら。

文・写真:Takapi