なんか、いろいろと、あるんだよ

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「この打ち合わせ、やる意味があるのでしょうか」

目の前で繰り広げられている議論があまりに不毛に思えてつい口から出てしまった。先日の打ち合わせでのことだ。

途端に静まり返る会議室。その日初めてお会いした5人くらいの参加者の顔が一瞬で固くなったのが、視界に入らなくてもピンと張った空気でわかる。その時点で「あ。やってしまった」と後悔し始めていた。

取り繕おうとまた口を開いたところで「意味がない」と発言した自分なりの理由をまくし立てるばかりで、参加者の顔が固まるどころかどんどん暗くなっていってしまった。

結果として数分の“演説”で空気を変えることは難しく、会議の長の「とりあえず1回持ち帰りましょう」の一言に救われる形で会議はお開きということになった。

会議が終わり、組んでいた足をほどき立ち上がったときに、おしりから太腿にかけて張りのような、凝りのような軽い痛みを感じた。

張りつめていたのは僕の気持ちの方で、固くなっていたのは僕の態度の方だったことに、そのときになってようやく気付いた。

オフィスの自席に戻り、固くなった太腿の筋肉をトントンと叩きながら、ひょっとしたらこの痛みは天敵から身を守るために威嚇する小動物のような、生物の生存本能なのかもしれないなと、ぼんやり思った。

威嚇してまで守りたいと思うものはいまいち浮かんでこないのだけれど、僕を威嚇させた根っこの感情はわかる。

怯えであり不安だ。
でもいったい僕は何に怯え不安を抱いていたのだろう。

数時間後、先ほどの会議に参加した人から僕宛にメールが届いた。

「今度、○○さん(僕の名前)のご経験をメンバーに教えてもらえないでしょうか。今までやってきたことの中で大事にしてきた想いをお聞かせください」

メールを読み、まわりの方に気を遣わせてしまったことを恥じるかたわらで、ふっと全身の力が抜け安心している自分がいた。

つまりは単純なことで、僕を怯え不安にさせていたものは「わからない」という感情だ。

相手の本心がわからない、自分自身がどういう目で見られているかわからない、そんな「わからない」に怯え、強い言葉で威嚇し距離を置くことで自分を守ろうとしたのだ。

「わかる」ためにやれることのひとつは「安心」を与え合うこと。そしてそのスタートのためにやれることは、もうこのメールに書かれている。

「すいません、ここからはもう大丈夫です」

声にせずにつぶやき、「ありがとうございます」と返信する。

この年齢になってもこんなことでつまずくのかと、自分の未熟さに呆れ、苦笑いが込み上げ思わずうつむく。

力が抜けだらしなく開いた太ももが目に入った。

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10年位前に一緒の職場で働いていた同僚と数年ぶりに再会し、外苑前の小さな酒場のカウンター席で酒を飲み交わした。

彼は今の職場で副部長という肩書をもち、幼稚園に上がる子どもがひとりいて、奥さんのお腹の中には二人目の子どもがいるらしい。

10年前に比べて少し落ち着いた雰囲気をまとった彼は「いろいろ、おめでとう」という僕の言葉に静かな笑顔で返したあと「いろんなことに気を遣う年齢になったなぁ」と独り言のように言葉を落とした。

仕事の話、健康の話、家族の話、年齢を重ねるほど取り巻く境遇は似てくるようで、「あぁお前もか」などと慰めなのか励ましなのか分からないような声をかけては「なんか、いろいろあるな」と芋焼酎のロックをすすった。彼も同じ酒を飲んでいた。

22時前に酒場を出ると、この時間になっても熱をまとっている風が肌を撫でる。彼はひとつ先の駅まで歩いていくということで、酒場そばの地下鉄の入口で「じゃあ、また」と僕らは小さく手を振って別れた。

帰りの電車の中、さっきの酒場での会話を振り返っていたら「なんか、いろいろ」と口から小さく漏れた。それだけ「なんか、いろいろ」が多かった宴だった。

家に帰ったらコーヒーを飲もうと思った。

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自分ではどうしようもできないことが増えた。
一方で自分がどうにかしなくてはいけないことも増えた。
経験からわかることが増える一方で、その正しさが脆いこともわかるようになった。

要は、「なんか、いろいろある」年齢になった。

今年の酷暑をしのぐ手段が空調のきいた部屋に逃げ込むこと以外にないように、無理に足掻かず、笑顔でかわしたり、じっと我慢したり、話を逸らしていれば、大抵のことはそのうち時間が解決してくれるものだというのがわかってきたのも、この年齢になってきてからだ。

そんな風にわかったつもりになったとしても、僕はこれからもひとつずつ不器用に向き合いながら、少しずつ安心できる場所を増やしていくのだろう。そしてまた明日も気の合う仲間と肩を並べて飲んでいるのだろうと、これまたたしかな予感として感じている。

何とも急に老け込んだ締めになってしまった。きっと夏バテのせいだ。

それでも「時には起こせよムーブメント」と平成の名曲を心に忍ばせて、何かを叫んで自分を壊す準備だけはしておこうと、平成最後の夏に僕は小さく決意をしたところだ。

文・写真/Takapi