僕の占い師

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大物政治家や有名作家など、いわゆる各界の著名人が、思い悩んだときの最後の心の拠り所として占い師に頼るという話を、年末の酒の席で聞いた。

どんなに多くの取り巻きを抱えても結局は神頼みなのかと嘲笑する声もあれば、いやむしろ自分の影響力が大きくなっていくほど人が信用できずに頼れるものがなくなるんだと同情する声も上がったが、話は終着せずに曖昧なまま途切れ、次の楽しい話題に移っていった。

そんな忘年会から10日ほど経ち、新年を迎え、毎年恒例の新年の抱負たるものを考えるために、頭の中で昨年の自分の振る舞いの「棚卸し」をしはじめたときに、先ほどの話が頭に浮かんだ。

果たして僕にとっての「占い師」は誰なのだろうと。

色んな人からのアドバイスやら忠告やらその他インターネット上に転がる無数のレコメンドの声を潜り抜けて僕にとって「決め手」となる声はどんなものか。

それを知ることがすなわち、今の自分の立ち位置を俯瞰で捉えられると思ったのだ。

しかし思い巡らせたところで浮かんできたのは中学生の頃の僕自身だった。

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中学生の頃、同じ部活で3年間をともに過ごした同級生から、卒業間近になって「僕は君のおかげで変われたんだよ」という感謝の言葉をもらったことがある。

聞けば、彼は自身の引っ込み思案な性格がコンプレックスだったそうで、僕と出会い、部活を通して僕と関わるうちに「こんな風に開けっぴろげに生きたら楽しくなるのか…!」ということに気付き(今振り返るとあまり褒められてないな)、次第に性格を変え、クラスにも友達ができて…最終的にはとても楽しい中学ライフを過ごすことができた、ということだった。

その話を聞いたとき、素直に嬉しいと思う反面、少し戸惑ったことを憶えている。なぜなら僕は彼に対してさして思い入れがあるわけでもなく(申し訳ない)、ただ「楽しいは正義」という思春期にありがちなポリシーの元にした言動を振りまいていただけで、彼の引っ込み思案な性格を変えようなどと露ほども思っていなかったからだ。

とはいえこうして僕の言動が、良くも悪くも彼の人生観まで変えてしまったことは間違いない事実である。

なぜ彼が僕の言葉や行動が「決め手」になってしまったのだろう。

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翻って僕自身のことを振り返ると、少なからず「決め手」となる人はいるみたいだ。

たとえば友人のFさんは、僕が仕事のことで相談する度に「その話面白いね」「君はもっと可能性があるよ」といつも軽い調子で背中を押してくれる。

同じような声をかけてくれる人は他にもいる。それでも彼の言葉は不思議とスッと腹落ちしてしまう。

そんな彼のアドバイスを聞いたある日の夜、僕は半分酔った頭でとある企業のエントリーシートを書き上げた。

結果として僕は今、そのエントリーシートを提出した企業で働いている。

たとえば、前職で一緒に働いたSさんは「この本は良かったよ」「あなたにそれは似合わない」といつもふわっと教え諭してくれる。

彼女の言うことはたまに毒気はあるものの「まぁ、彼女が言うなら失敗しないんだろうな」といつも僕は簡単に頷いてしまう。

結果として僕は彼女が薦めた眼鏡屋で眼鏡を買い、こうして毎月コラムを書かせてもらっている。

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中学生の頃の僕と先に挙げたふたりを並べてみる。
ひとつ見える共通点は相手との距離感で、すなわちそれは「近すぎない」ということになる。

必ずしも近くにいる人が「決め手」になるということではないらしい。

たしかに、思春期の頃に親のおせっかいな言葉が鬱陶しく感じたり、逆に好きになった人や仕事で一緒になった人に強い期待をかけて相手を怯ませて損なってしまったことも「近すぎた」ことが原因だったように思う。

時に人は、「相手を理解したい」という言葉を掲げて距離を詰めてしまうことがある。しかしながら「君をわかりたい」という思いやりは、「僕をわかってよ」という強烈な欲と裏表の関係でもある。

先述したSさんの話に戻せば、一緒に働いていた当時、立場上上司であった僕は彼女に「頑張るからついてきてほしい」と勇んで伝えたことがあった。

そのときに彼女は「え。私は君についていくつもりはないよ。ただ君が楽しいと思うことは一緒にやれると思う」と答えてくれたことがあった。

僕はその言葉で救われた。
その距離が温かかった。

今さらながらそんなことに気付いた。

僕にとっての「占い師」には心地よい距離感がある。そしてどうやら僕の今年の抱負はその辺にあるようだ。

今年もみなさん、ほどよい距離感でよろしくお願いします。

文/写真:Takapi