プレゼント

日が暮れ始める約束の時間の10分前、指定されたお店に入ればその方は既に奥のテーブル席でひとりビールを楽しんでいた。まさか先にいらっしゃると思っておらず、少し慌てる。

この日は僕が所属している会社の大ベテランの方との食事会だった。
「お待たせしてすみません」
「いえいえ。先に楽しんでます」
彼はベリーテイストのクラフトビールのグラスを掲げる。

その方と知り合ったのは1年前位になるだろうか。とある企画でご一緒した際に少しお話しした程度だった。なぜかそれ以降僕がやっていることをいつも目にかけてくれていて、新しい企画を世に出せば「いい企画です。これからも期待しています」とだけメールをくれたり、オフィスで僕を見つけるとわざわざ僕の席まで声をかけにきてくれては、しばし立ち話をしながらいろんなお話を聞かせてくれる。

多くの仕事がそうなのだと思うけれど、前例がないことに挑戦することは心許なくなるし胃も痛くなる。けれどこうして声をかけてもらうことで「もう少し頑張ってみよう」と日々踏ん張ることができている。まさに拠り所だ。

この日の食事会は、何度目かの立ち話の際に「今度はぜひビールを飲みながらでも」と思い切って声をかけたら「いいですね、ぜひ」となり実現した。

はじめは緊張したものの、美味しいクラフトビールのおかげもあって朗らかな時間を過ごすことができた。気づけばあっという間に陽はとっぷりと落ち、ディナーを楽しむお客さんで周りの席は賑わっていた。

「そろそろ」と腰を上げようとした時「そうそう。これを」と彼が筒状の箱を差し出してきた。箱を開ければグラウラー(ビールを持ち運べる水筒)が入っている。手にすると水筒にしては重い。首を傾げていると、このお店のビールが入っていると悪戯っぽい笑みを浮かべて教えてくれた。

こんな風にプレゼントをもらうとは予想だにしていなかったから、すぐに言葉が出てこなかった。そんな僕を尻目に「明日までは炭酸ももつだろうから、明日また楽しんでください」と彼は笑った。

「いや…なんかすみません」
やっとでてきた僕の言葉を受け、ゆっくりとした口調で
「これからも期待しています」
と彼は頭を下げ、スッと席を立った。

水筒を抱き抱えるようにして、ほろ酔いの頭で電車に揺られていた時にようやく気が付いた。

彼が先にお店に入っていたのは、僕に渡すプレゼントの水筒にビールを入れてもらうためだったのだと。そんなかわいらしいサプライズを、あれだけの地位の方が僕のためにやってくれたのだと思うと、思わずこみ上げるものがあって車窓が少し滲んだ。

小学校2年生になる甥っ子の誕生日が近くなったので、姉に甥っ子が今何を欲しがっているのかをLINEで聞く。ここ数年のほしいものリストはレゴシリーズだったから、今年も同じようなものだろうと思っていた。

1日経ち「『風の谷のナウシカ全巻セット』でよろしく」という返信を見た時には、思わず「え。ほんとに?」と声に出していた。

そしてすぐに先日の父親の墓参りの車中がフラッシュバックした。

その日の道中は義兄さんが運転するワゴン車の助手席に僕が座っていた。後部座席からはアニメの『風の谷のナウシカ』が流れているのがわかった。後部座席の甥っ子は映画のシーンを追いながら姉と賑やかに話し合っている。

僕は僕で、義兄さんと『風の谷のナウシカ』の原作(漫画)の話に華を咲かせていた。僕も義兄さんも原作がとても好きなのだ。

耳のいい子だ。おそらくその会話を聞いていたのだろう。

それで選んだのが漫画全巻だったのだ。

そのことに気付き、くすぐったいような、なんとも言えない高揚を感じた。

小学校2年生ではまだ難しいかもしれない。でもいつか、何年か先、この作品について話が盛り上がるかもしれない。そう思うととても嬉しくなって、姉にLINEの返信をする前にAmazonのページを開いていた。

不思議なものだ。これまで贈り続けたレゴたちは購入した直後から関心はなくなっていたのに(これまで贈ったレゴシリーズの名前をひとつも思い出せない)、プレゼントが『風の谷のナウシカ』となった途端、買って贈ることそのものが嬉しいと思っている。

次はどんな作品を欲しがるだろう。言われればなんだって贈ってあげたい。

僕は今月末に引越しを控えている。新しい住まいは新しい灯りで始めたいと思い立ち(単に今の家の照明に飽きただけだが)照明を探すことにした。

何軒かのインテリアショップに行ってもなかなか目当てのものが見つからない中、Instagramに流れてきた1軒の小さなお店が目に留まる。取り扱っているもの、写真の撮り方、店内の雰囲気が個人的に好みで、家からも近かったので行ってみることにした。

北欧ヴィンテージを中心に取り扱うそのお店は若い店主がひとりで切り盛りしていた。店内の商品は、どれもほどよく空間に「馴染んで」いるように見えた。だからか商品を見ていると、自分の次の家でどんな風に置かれるのかが想像ができた。

聞けば、店主は元々大手の家具屋さんで働いていたのだが、5年前に1人で店を構えることにしたとのこと。

「大規模な家具屋さんだと、どうしてもお客さんとのやりとりが少なくなってしまうんですよね。でもやはり大きな買い物ですから、売る側としても満足して買ってくれたという手応えがほしいと思って。だからひとりで小さく始めることにしました」

その話を聞いて、なぜこの店の商品がこれだけ「馴染んで」いるのかが納得できた。その後1時間近く店主と話し込み、結果としてダイニングとリビングの照明を買うことができた。

店主と話す中で、僕が今気になっている有名なデザイナーのヴィンテージのソファの話になった。僕がその商品を置く予定はあるのかと聞くと彼は少し申し訳なさそうに「しばらくはなさそうです」と答えた。

「個人的な感覚ですが、そのソファは必要以上に高い値がついてしまっている気がするんです。人気商品ですから、もちろん出せば売れます。以前数点並べた時は途端に買い占められました。僕としては、そういう買われ方よりも、あまり認知度のないデザイナーさんであっても僕が良いと思ったものを並べて、こうして話した上で気に入って買ってくれた方が嬉しいんです」

まるで彼の商売そのものがプレゼントみたいだと思った。さらにはそのプレゼントを受け取った買い手はとても幸せだな、とも思った。その商品に宿った愛着はきっと買い手にも伝わっているだろうから。

僕の次の家も愛着のある場所になりそうだ。

ひょっとしたら、プレゼントとは相手の未来を祈ることなのかもしれない。

僕らは誰かにプレゼントをすることで、相手の未来がちょっとでも良い方に向かってほしいと祈っているのではないだろうか。直接言葉にできない(もしかしたら潜在的に思っているだけかもしれない)ものだから、愛着のおけるモノに託すことで祈りの代替をしているのではないか。

大袈裟な話だ。でもその小さな祈りをプレゼントに託すというのはなんとも健気で美しい所作のようにも思える。

と、ここまで書いて気がついた。来週は妻の誕生日だった。

今回のコラムはここで切り上げ、日々の感謝の気持ちを込めて、引越し先の暮らしを祈るべくプレゼントを探すことにしよう。

文・写真:Takapi