役割

春特有の強い風が吹くよく晴れた昼下がり、我が家に第一子が誕生した。「おそらく今日産まれる」と聞かされていたからか、その日は朝からなんだかずっとそわそわしていた(実のところ3日前くらいからそわそわしていた)。あまり食欲が湧かなかったものの、何か口にしなくてはと簡単に昼飯を済ませた頃、入院している妻から「そろそろみたい」と連絡が入る。急ぎ自転車にまたがり、入院先の産婦人科に向かった。

産院に着くと処置室に通され、ドラマなどでよくある姿勢の妻と対面する。二言三言、言葉を交わしていると担当医師が入ってきて、いくつかの説明をしてから契約書のようなものにサインをさせられる。医師ののんびりとした口調に、安心するような、拍子抜けするような気持ちになった。諸々の事情からお産の立ち会いはできず、廊下のベンチで待つことになった。

廊下の天井からは、いろんな配慮を感じさせるクラシック音楽がうすくかかっている。その心地の良い音楽がむしろ落ち着かない気分にさせる。いや、正直に言えば僕は緊張していたのだ。ベンチに腰掛けながら何度か「えずいた」ことがその証左だ。緊張でえずくなんて、高校時代の陸上部の都大会の決勝以来のことだ。

スマホを握りしめたままベンチに座り10分くらい経った頃、処置室から赤ん坊の産声のようなものが聞こえる。「え。もう?」と思っていたら処置室から出てきた助産師さんが早歩きで僕のもとまで来て「元気に産まれました。ぜひご覧ください」と笑顔で告げる。処置室脇のいろんな機器が並ぶ場に通される。臍の緒がつき、身体のあちこちに血がのり、体全身を紅潮させて命のあらん限り声をあげる小さな生き物が助産師さんに抱き抱えられていた。思わず小さく「生き物だ」と、なんとも場違いなことをつぶやいていた。

その後諸々の検査があるのか、助産師さんは指の数やら耳の形を検分し、僕に報告を始める。ぼんやりと聞いていたら「ぜひ写真撮ってあげてくださいね」と促され、ようやく我に返り、あわてて持ってきたカメラを「小さな生き物」に向ける。全身を真っ赤にして叫び続ける生き物をファインダーから覗きながら、「ああ。だから産まれたての子を“赤子”と呼ぶのか」なんてことを思った。

我が子との初対面は数分で終わり、その後はまた廊下で待たされ、しばらくしてストレッチャーに乗せられた妻が処置室から出てくる。晴れ晴れとした表情にも、安心した表情にも見えた妻の顔に「お疲れ様」と声をかける。後から出てきた医師からは母子共に無事であることをのんびりした口調で伝えられ、この日の夫としての役目はお役御免となった。

産院を出て見上げた空はやたらと青かった。それから2週間ほどの入院生活等を経て、我が家にひとり家族が増えることになった。

妻と子が家にやってきてから、勤めている会社の制度を借り、現在は育休の身だ。妻に教えてもらい、オムツを替え、沐浴をし、ミルクをあげ、寝つかせなんかもしている。1週間ほど経ち、幾分その作業には慣れてきたようにも思うが、まったくもって意思疎通ができない赤ん坊と向き合うのは難しい。その泣き声が何を要求しているのか、ばたつく手足を眺め、触れ、抱き上げ、話しかけながら、意図を汲み取ろうと首を傾げる毎日だ。

それはそれとして、この真新しい共同生活を成り立たせるために「現実的なこと」として必要なことは、子ともっとも近い距離にいる妻が心身ともに健康でいることだ。そう判断し家事はすべて行うことに決め、妻が子と向き合うこと以外に思い煩うことが極力ないように働くことにしている。もともと料理は好きな方だし、洗濯掃除も新婚当時に「仕込まれて」いたから苦にはならない。母乳をあげているからか妻の食欲が上がっているのを見るのはなんとも面白く、献立を考えるのも楽しい。僕も少し太ったような気がする。

同時に父性とはなんだろう?と思うことも増えた。子のために、この生活の将来のために、僕はどんな役割を引き受けるべきなんだろう?と、ご飯を作りながら、寝かしつけのための抱っこをしながら考える日々が続いている。

そんなことを考えていたら、突然小学生時代のある出来事を思い出した。これまで数十年間まったく顔を出さなかった出来事だ。

小学生高学年の頃、同じクラスに不登校ぎみの若干身体の弱い男子生徒がいた(もしかしたら嫌がらせも受けていたかもしれない)。その子の家が僕の通学路にあるからと、担任の先生から、登校時になるべくその子の家に立ち寄り学校にくるように声をかけてほしい、とお願いされたことがあった。

その子と仲がいいわけではなかった。いやむしろほとんど喋ったことすらなかったと思う。その話を受けた時には、なぜ僕が?という疑問と若干の面倒くささを感じながら、しぶしぶ引き受けたような気がする。

その後「立ち寄り」がどれだけ続いたのかはいまいち思い出せない。けれど、彼の住むマンションに通い、インターホンを鳴らし続けていくうちに、それが苦ではなく日々のルーティンのように「こなせて」いる自分がいた。うまく彼をひっぱり出せて一緒に通学している時には、周りの目を意識しながら、なんだかいいことをしている自分に酔っているようなところもあったと、今になって振り返って思う。当時はもちろん、自身の感情を言葉にできていないけれど、もしかしたら「役割」というものを引き受けたはじめての経験だったのかもしれない。

父性というものがどんなのものなのか、父としての理想的な立ち振る舞いとはどんなものなのか、現時点では皆目見当もつかないけれど、この記憶の再来は「目の前の役割を引き受け続けることで見えてくるものがある」と教えてくれているようにも思えてくる。

また、子が家にきてから、これまで見てきた夢と毛色の違う夢を見るようになった。それまでは、僕がどこかに行ったり、なにかを喋ったりと、自身が主人公の「冒険もの」であったのに対して、最近見る夢は、学生時代の友人やこれまでの職場で会ってきた人が眼前にいて、時に切実な表情で、時に柔和な雰囲気で、ひたすら語り続けてくるのだ。残念ながら彼ら彼女らが話していることは、起きた頃にはきれいさっぱり忘れている。ただ、こちらを見て話しかけている映像だけが、残像のようにこびりつきながら目覚めることになる。

この夢が僕に何を伝えようとしているのかはわからない。いろんな解釈ができると思うし、夢診断なんかにかければそれなりの回答を得られるとは思う。ただ、なんとなく今は、数回立て続けにこの夢を見て、個人的に受け取った解釈を受け入れようと思う。それはシンプルに「妻と子にしっかりと向き合い聞き耳を立てなさい(もちろん飼い猫にも)」ということだ。そして、それは家族だけではなく、仕事でもそれ以外の関係においても「これからは『耳を立てる』ことが自身の役割になる」ということを教えてくれていると、現時点では自分勝手に解釈している。

さて、とりあえず、今日の夕飯は何を作ろうかしら。

文・写真:Takapi