元気

空気の張り詰めた会議が終わり、会議室を出ようとしていたら、見知らぬ番号から電話がかかってきた。出れば元気な声で「墓石の比較サイトの◯◯です!」と名乗る。

墓石?いぶかし気な僕をよそにそのセールスマンは快活に話し続ける。どうやら、数年前に父親が他界した時、墓を建てるために利用した「墓石一括見積もりサービス」からの電話らしい(世の中には本当にいろんなサービスがある)。話を聞けば、そのサービスを利用後、結局どこの石材屋に決めたかを知りたいのだと言う。

とうの昔のことだし、いちいち石材屋の名前まで憶えていない。とはいえ、なんとなく人の良さそうなセールスマンの声に応えるように(ちょうど暇な時間でもあったし)しばし思い出してみる。結局、その比較サイトから上がってきた見積もりがフィットせず、改めて検索して探し当てた石材屋さんにしたことを思い出した。

そのことを伝えると「そうだったんですね!わかりました!」と物分かり良く言った後「またご利用の機会があればぜひよろしくお願いします!」と元気いっぱいに言い放って電話は一方的に切れた。

あまりの勢いの良さに、電話が終わった後もしばらく電話を手に握ったままディスプレイを眺めていた。そして、墓石に「またの利用」なんて基本的にはないよな、と思ったところで笑いが込み上げてきた。「不謹慎すぎるだろ」と笑いながら口にしていた。会議で張り詰めていたものがふっと解け、なんだか元気になっている自分がいた。

週末くらいは家で小さな贅沢をしたいと、近所のワイン屋さんとクラフトビール屋さんをハシゴして買い出しをするのが習慣となっている。

顔馴染みになったこともあって、行くといつも店主がワインやビールのことを教えてくれる。そのちょっとした数分にも満たない会話が嬉しい。僕の名前も素性も知らない人と話せることが、楽しくも息抜きになることに気づけたのもここ数年のことだ。

先日もクラフトビール屋さんでいつも通り冷蔵庫の前で物色していたら、「このビアフェス行きました?」と店主から声をかけられる。指差された先を追いかければポスターが貼ってある。見ればそのビアフェスは隣駅で行われているらしい。ちょうどその日と次の日の2日間の開催とのことだった。店主から教えてもらったブルワリーは、どこも好きなところばかりだ。

「いいですねぇ」とつぶやいたら、店主は鼻息荒く「いいですよね!僕は明日子を連れて行くことにしました!」と元気いっぱいだ。その前のめりな感じがおかしく、こちらもつられるように前のめりな気分になってしまった。ビールを数本買って帰るその道すがら、明日は娘を連れて午前中に散歩がてら行こうと決めていた。仕事が残っていたけれど、昼過ぎにやればいいや、と開き直ってもいた。

こんなちょっとしたことで元気付けられている時は決まって、忙しく心が落ち着かない時だったりする。疲れている時に甘いものを欲するのと似ている。

1年ぶりに画面越しで再会した方に、開口一番「疲れてませんか?」という言葉がその証左だ。どうやら、今僕は疲れているらしい。

そんなこともあり、1日だけ休暇をいただき、那須まで小旅行に出かけた。一応会社の携帯は持っていったけれど、車の運転やら、貴重な娘との時間のため、カバンの奥の方にしまって、半日近くチェックせずに過ごした。宿に着き、一息ついたところでスマホを開いたら、おびただしい数のメールやらチャットやらが画面いっぱいに積み重なっていた。その画面を見た時、無意識にため息が出ていた。そして数秒後にはスマホをスリープにして、またカバンにしまっていた。こんなことは初めてかもしれない。

どうやら、今僕は疲れているらしい。

翌朝、SHOZO CAFEに行き、流れる音楽に身を任せ(大好きなピアニストだった)、娘を抱きながら色づき始めた木々をぼんやり眺めていたら、自身の心拍の音に今更ながら気がついた。その音のスピードで、今自分が落ち着いているということもあわせてわかった。それは本当に久々のことだった。

娘は娘で、普段は見ることのない大きな葉っぱにいたく興奮しているようだった。

「僕は美味しいものが大好きでね。いつもそのことばっかり考えているの。そういう楽しみがあるから、あんまり落ち込んだりすることがないんですよ。ハハハ」

とある学問の第一人者である御年80になる方に取材する機会があった。待ち合わせ場所に指定した会社受付近くのベンチにぽつねんと座っている様子を見た時は、今にも萎んでしまいそうな小さなご老人に見えた。しかし取材が始まり、ものすごいテンションで畳み掛ける言葉を浴びていると(まるで漫談だった)、徐々に部屋の室温が上がっているのがわかるほどのエネルギーだった。

取材前、挨拶もそこそこに伝えられたのが冒頭のセリフ。「ほら。80歳なのに肌がツヤツヤでしょう?」と付け加えて、それまで緊張感のあった取材現場が笑いに包まれた。

取材時間は1.5時間。持てる限りのエネルギーを使い喋り尽くし、ありとあらゆる知をぶちまけた後は、また小さな老人に戻っていた。会社の入り口まで先生をお送りすると、どちらかともなく自然と握手をし、「まぁそういうことで」と小さな背中を丸めながら会社を後にしていった。

背中を見送りながら、そういえば握手を最後にしたのはいつだったっけな?と思っていた。感染症の影響もあって、ここ数年は握手をしていなかった気がする。そのことに思い当たり、改めて掌を開きぼんやり見つめた。すぐ直前まであった熱源がそこに漂っているように掌がジンとする。そっと閉じ込めるように、掌を閉じてポケットにしまった。しばらく身体が温かかったような気がした。

「元気があれば、なんでもできる」がキャッチフレーズのプロレスラーは亡くなってしまったけれど、改めてその言葉を噛み締める日々が続いている。そして当然ながら元気は自分ひとりでなれるものではなく、そこにはやはり誰かが、何かがいて成り立っているということも併せて痛感している。

言い換えるなら「誰かがいるなら、なんでもできる」ということか。
たしかにそうだ。本当にそうだな。

それはそれとして、元気をもらい続ける日々が続いている。
ありがたい反面、少しばかり後ろめたい。
そろそろ、誰かに元気を分け与えられるようになりたい。

文・写真:Takapi