師走の足音が聞こえ、にわかに忙しさが増している最中、流行の感染病に罹ってしまった。寝不足が続き、少し疲れを感じていたところに、するっとウイルスが身体の中に入り込んだようだ。
免疫が下がっている中に罹ったからか、今巷に広がっている「型」がただ単に強いのかはわからないけれど、これが大層辛かった。3日3晩熱が下がらないばかりか(ロキソニンを飲んでも少ししか効かず数時間後には熱がまた上がる)、3日目くらいからは信じられないくらいの喉の痛みに襲われた。唾を飲み込むにも、なけなしの気力を振り絞っては、予想される痛みに耐えるために拳を握るほどだった。
こういう時は寝るしかないと、22時くらいに目を瞑っても、深夜3時頃にはまた熱が上がり喉も痛くて寝れなくなる。少しでも辛さを遠ざけるため、ロキソニンを飲むべくベッドから這い出る。先に胃に何か入れようと冷蔵庫からゼリーを取り出し、灯りを落としたリビングで食べる。一口ゼリーが喉を通る度に歯を食いしばるような痛みが襲う。その繰り返しに嫌気が差して、ひとりほの暗いリビングで少しだけ泣いた。40歳手前にして、なかなかに情けない。
2日ほど喉痛に苦しめられ、それが落ち着くと今度は咳が止まらなくなる(これまた寝れないほど苦しませる)。その後は痰が絡み窒息しかけたりと、なかなかジタバタした1週間を経てようやくとぼとぼと歩けるくらいにはなった。
発症してから5日目くらいに検査した病院から電話があった。物腰のやわらかい口調で体調を聞いてくる医師の、その優しさがとてもありがたく(業務上の義務的な態度であっても)、まだ若干身体はきついにも関わらず「おかげさまでだいぶよくなりました」と口にしていた。
決められた療養解除の期間を待ってから、はじめて近くの公園を散歩した時には、季節は確実にひとつ進んでいた。空気はほどほどに冷たくなり、空は高く銀杏は色をつけていた。そのことが少しだけ恨めしく感じた。けれど不思議とその時間の流れにほっとしている自分もいた。
ここ数年携わってきた仕事が評価されたとのことで、とある団体が主催するグランプリにて賞をいただくことになった。そのグランプリを説明するページには「健全な発展を目的として、優れた功績を残した企業および人物を顕彰し、 その労と成果をたたえること」と書かれていて、僕が受賞した賞の箇所には、その業界の活動の「原動力になった人物を讃える賞」であることが書かれていた。読むだけで首が縮こまるような内容だ。
その報せをもらった時は本当に寝耳に水のことで(そもそもその賞を知らなかった)、正直に言えば少々戸惑った。当然ありがたいことだとは思いつつ、まだまだ道半ばで日々悶々としていることや、僕なんかよりもはるかに業界的に好影響を及ぼしている人の顔が何人も浮かんでしまい、端的に言えば引け目を感じてしまった。なんなら僕がもらうことで炎上したらどうしよう、と自意識過剰に思うほどだった。
ただその賞が世の中的に発表されると、多くの方から声をかけていただいた。そのほとんどが、実際に仕事でご一緒した方々や、仕事をする上でアドバイスをしていただいたり、僕自身に多大な影響を与えてくれた方々だった。
それらの声はとてもありがたかった。素直に嬉しかった。同時にこれだけの人に支えられて今の仕事があるということを、改めて思い起こさせてくれた。声を掛けていただく度、自然と出てきた言葉は「おかげさまです」だった。そして続く言葉は「ありがとうございます」だった。
こういった賞には無縁の人生だと思っていたし、「賞レース」という響きには少なからず否定的なニュアンスも含まれていて、僕自身距離を置いてきては目を逸らしてきたつもりだった。ただ実際に今回賞を受け取ることでわかったのは、これは関わってくれた方々へ感謝を伝える機会だということと、他人である僕のことなのに本当に喜んでくれる人がいるという、普段では感じることのできないありがたみを知る機会でもあるということだった。
このふたつの出来事を今回のコラムに書こうと思い立った時には、タイトルは「おかげさま」にしようと思っていた。ただ書き進むにつれて頭の片隅に既視感がこびりついて離れなかった。
まさかと思いつつ、このコラムを遡ってみると、やはり2018年12月のタイトルが「おかげさま」だった。これまた年末のコラムだ。年末は「おかげさま」と感謝を伝える時期としてふさわしいらしい。それはそれとして、僕自身2018年から4年経ってもなんら変わらない心境で年の瀬を迎えていることも、なんだか拍子抜けするような心持ちになる。
なんにせよ、年末は感謝である。それはもはや風物詩でもなく刷り込まれた人間の性のようなものなのだろう。というわけで、今年の年末のタイトルは「ありがたみ」とさせてもらった。健康のありがたみと人のありがたみ両方を感じる年末だったということで、ぴったりなタイトルだ。
周りを見渡せば、少しずつ感染症流行前の年末の雰囲気を取り戻しているような気がする。サラリーマンの「年末の挨拶」よろしく、これまで関わってくれた方々に挨拶まわりをしていきたい。営業マン必携の「カレンダー」はないけれど、手土産として今年やってきたことを話すだけでいいと思う。そこに「ありがとう。おかげさま」がセットになれば立派な土産ものだ。一年のうち、年末くらい「ありがとう」の大盤振る舞いをしようではないか。
今年もコラムにお付き合いいただきありがとうございました。
皆さん、良いお年を。
文・写真:Takapi