変化

9月末にお暇をもらって約1年ぶりの北海道旅行に行った。

2歳半になる娘との外出は、ふだんの暮らしでは見過ごしがちな変化を感じる機会にもなるから面白い(大変だけど)。旅行ともあればなおさらだ。今回の旅行でも存分にそんな変化を感じることになった。

初日に立ち寄った札幌の室内水族館では、平日の夕方の時間帯ということもありだいぶ空いていて、はじめのうちはふだん目にすることのできない魚たちに娘も目を奪われていた(ように思う)。そんな風にしてしばらくのんびり館内を進んでいたのだが、何が娘を刺激したのか、突然魚やペンギンには目もくれず、水族館内を縦横無尽に走り始めたのだ。

他のお客さんの迷惑になるからと、足止めをはかろうと追いかけようにも、なかなか追いつけないほどのスピードで、結局そのまま鑑賞に戻ることなく、なかば逃げ出すように水族館を後にすることになった。

家では魚の本や動物の番組も楽しんで観ていたから、水族館では魚たちに釘付けになって、少しはゆったりと観光できる(親も休める)と思った魂胆は、見事に打ち砕かれる格好となった。

二日目はいくつか観光地を巡った後、夕方の時分にモエレ沼公園に行った。「モエレ山」と呼ばれる人工の山は、50Mほどの高さらしく、麓に着くとそれなりに圧迫感がある。何より数百段ありそうな階段(実際には240段くらいらしい)を見上げると、初老に差し掛かる身としては、ちょっと腰が引けるほどだった。

そんな親の心境をよそに娘は我先にと階段に登り始める。手を繋ぐことも拒み、黙々と登り続ける娘。真ん中くらいに差し掛かり、若干の息切れを起こしている親の傍らで、新しい景色にワクワクしているのか、早く登りたいと目で催促をしてくる。

その後も淡々と登り続け、結果としてほぼひとりで登頂した。頂上に着いても体力は衰えないのか(むしろ高揚しているのか)、幼児向けのテレビ番組で毎朝流れる歌を2曲ほど踊ってから、下山することになった。

さすがに体力も果てているだろうと、下山では手を繋ぐか抱っこで降りようかと思ったけれど、その静止も振り切り、下山もほぼひとりで降り切ってしまった。いつの間にかそんなに体力がついていたのかと、びっくりすると同時に、娘のその躍動感に、覚醒と言えば大袈裟だけど、何かひとつギアが上がったような、漫画でよく見るような場面に立ち会ったような気分になった。

ついでに言えば、僕自身が高校までずっと陸上部で走り回っていたことを思い出し、血は争えないなと親バカのように感じ入ることになった。

それはそれとして、娘のダイナミックな変化を眺めていると、感性や性格や嗜好性みたいなものは、どうやって身についていくんだろうと不思議な気持ちになる。

先に挙げた「アクティブ」な変化だけではなく、旅行先では幾つもの変化を感じた。それはそれでとても嬉しいことだ。まっさらな状態から、少しずついろんなものを文字通りたくさん吸収して、まだまだ頼りない「自分らしさ」のようなものを少しずつ積み上げていくプロセスを眺めているのは、なんとも小気味がいい。

そしてその変化は親が見せているものだけを見ているわけではないということもわかる。娘は想像以上にいろんな世界に触れていて、それを自分ならではの方法で取り込んでいる。それに気付かされる旅行にもなった。

中年と呼ばれるこの年齢になってくると、「変化」は自身の中で起きることはほとんどなく、外側、つまり環境の変化が中心になってくる。その外側の変化に対して、自身の引き出しから差し出すものや引っ込めるものを都度選び直しては、その変化に「大人として」対応することを求められるようになる(こうして文字にするとなんだか寂しさを纏ってしまうな)。

僕自身も10月から仕事の役割が少し変わった。その外側の変化に対してまだうまく順応はできていないが、日々自分の中にある埃を被った引き出しをひっくり返しては、新しい環境に慣れようとしている最中だ。

ただ、そんな中にあって、ひとつ自分の中でも変わってきたと思う点があって、それはこうした変化に対してあまり動揺していないということだ。ひと昔前なら、仕事内容や働くメンバーが変わればそれ相応に慌てていた。心拍数の高い日々が続き、しばらくは不安が大きく頭を占めていた。

それが最近はそういった心拍数の高まりは鳴りを顰めている。まぁなるようにしかならないよな、という感覚が強いのだ。不安を感じる以前にそもそも忙しいというのもあるだろうし、もっと言えば、単純に加齢とともに高鳴るだけの心拍がなくなっているだけなのかもしれないが、でも個人的にはこの変化がちょっとだけ嬉しくもあって、少しだけ年齢を重ねることが楽しみになってきてもいる(反面身体的な疲れは出やすく抜けにくくなっているけれど)。

先日、とあるベテランの方の取材をしたが、その方は「50代になるともっと安定する。振る舞いが楽になる」と言っていて、さもありなんと思いつつ背中を押された気分になった。

娘はここから先もっとダイナミックに変化していくんだろう。とりあえずはその変化を楽しませてもらいながら(体力はできるだけキープしながら)、自分自身に起こる(かもしれない)変化を楽しみにしていようと思う。

文・写真:Takapi