多くの土曜日の午前中を、2歳半の娘と近所の公園を散歩する時間に費やしている。ようやく銀杏並木が秋らしい色をつけ、夏の虫の煩わしさもなくなり(11月中旬まで蚊がいるとは思わなかったな)、いよいよ散歩が捗る季節になった。
どんぐりに一心不乱になり(今はどんぐり集めにはまっている)、お昼時になってもなかなか帰りたがらない娘に効く一言が「納豆巻き食べる?」である。
そんなわけで1ヶ月のうち2週に一度は近所の寿司屋のテイクアウト店にお世話になっている。ここの納豆巻きと茶碗蒸しのおかげで、午前中の散歩が滞りなく(ストレスなく)終わることができている。
12月に差し掛かる週末、いつも通りに寿司屋のテイクアウト店に行き、目当てのものを買い物かごに入れて会計を待つ。僕の前に立ったお客さんは買い物かごいっぱいに寿司のパックが詰まっていて、バーコードをスキャンするだけで少し時間がかかるほどだった。
「えっと…計15点ですね。お会計は…」
15点。なかなかお目にしない品数だ。
心なしか品数を読み上げる店員さんの声も少し高揚しているようにも感じた(たぶん気のせいだ)。
「お箸は何膳必要ですか?」
「6つください」
6つ?ということは複数の家族が集まったランチなのかしら。
それとも気の合う会社の同僚を集めた宴なのかしら。
近所の人たちを集めたランチ会かしら…
幾分しぶい感じを醸し出したおじさんの表情からは、寿司の行方についてはわからなかったが、レジにうずだかく積まれた寿司のパックを眺めていたら、「師走だ」と小さく声が出た。
1年のうちでも独特な空気をもつ「師走感」。
このコラムをもう6年近くやっているが、毎年12月の回だけは1年を振り返させ、来年もよろしくと締めさせる、この不思議なシーズンが、今年も始まった。その号砲を、計2万円近くの「寿司の山」が鳴らしてくれた。
「はぁ、寿司食いながら忘年会したい(飲みたい)なぁ」
そう思った途端、少しくたびれていた身体に血が通ったような感覚になった。
何が自分を元気づけたのか、いまいちよくわからないけれど、その日のうちに「寿司忘年会」が決まるほどには機敏になった(この決まり方の早さも師走感がある)。
そもそも師走感の“感”ってなに?という感じがするが、“感”でしか表現できないものが師走にはある。他の月ならこうはならない。水無月感とも葉月感とも言わない。師走だけにはやはり“感”を付けさせる何かがあるのだ。
師走だ。
そんなことを納豆巻きの会計をしながら思ったものだから、師走感を演出すべく、帰り道に花屋さんに寄ってクリスマスリースを買ってしまった。
赤いヒイラギの実を指差して「ブルーベリーだねぇ!」とテンションの上がった娘の意向を汲んで、今年は「ブルーベリー」がふんだんについたシンプルなリースを選んだ。2歳半の娘には、まだクリスマスが特別なイベントであるという理解までは及んでないらしい。ましてや「師走感」のような特別な感情は持ち合わせていないだろう。ただただ全力で遊び倒す連続した日々があるだけだ(たぶん)。
そう考えると「師走感」に特別さを感じるのは、ともすれば、そこにひとつの締めくくりのようなものを感じ取るからかもしれない。もっと高揚感を持たせる言い方をするならフィナーレと言ってもいい。長い歴史の中で、意図的に人間が作り上げた「終わり」であるわけだ。
終わりの直後には「始まり」(1月)が厳かに待ち構えている。そしてそれを毎年繰り返している。季節が巡るように師走もまた巡っていく。終わり、始まり、繰り返し、巡っていく。
と、ここまで書いてみたものの「終わる」という視点で見れば、1年の最後の師走だけではなく、1ヶ月でも1週間であっても言えることだ。サラリーマンの僕にとって金曜日は「小さな終わり(ようやく1週間が終わってくれた)」でもあるわけだ。
なんの話だったっけ。まぁいいや。
それはそれとして、娘の「終わりを知らない」眼を見ていると、その眩しさにクラクラするとともに、この意図的な「終わり」「始まり」「巡り」があるというのも悪くないな、とも思えてきた。
「終わり」を作るということは、言ってしまえば「限り」を設けるということでもある。
これからも厳しい日々は続くけれど、一旦ここで手を打ちましょう、という潔さがある。
きっと、歴史のどこかで、長い人生を考えた時にこの「一旦」を定期的に行うべきだという選択肢をとったのだと思う。そうでなければ、この長い人生、とてもじゃないが元気よく生き続けられない、と(幾分身勝手で自分都合な解釈だ)。
この「一旦」を端的に表してるのが「忘年会」という言葉ではないか。
「今年あったことは一旦忘れましょう」なんて、潔いを通り越して開き直ってすらいる。
でもそれが人間らしくて最高じゃないか(最高だなんて品のない言葉を使えるのもきっと師走感がなせるわざだ)。
今年も忘年会が待っている。
肩の荷物を一旦降ろして乾杯したい。
「今年もお疲れ様でした」と労いあって、開き直って来年を迎えたい。
皆さん、今年もコラムにお付き合いいただきありがとう。
よいお年を。
文・写真:Takapi