傲慢

年の瀬、クリスマスを過ぎてすぐに身内に不幸があり、晦日に葬儀を執り行った。

ひと段落つくと、疲れがでたのか、翌日の大晦日を迎えても大掃除もままならず、なんとか年越し蕎麦だけは準備して、紅白を観終わるくらいの時間に妻とふたりで蕎麦をすすった。

古くからのしきたりに合わせ、この正月はおせち料理を準備することはせず、元日もいつも通りの朝を過ごすことになった。

近所の公園は小高い丘のようになっていて、有名な初日の出スポットになっている。初日の出は拝みに行かなくてはと、少しだけ早起きして、日の出を拝みに行った。日の出予定時刻の10分前くらいに着けば、すでに多くの近所の方であろう方々が肩を寄せ合うように集まっていた。そこかしこで祝福の挨拶があり、少しだけ引け目を感じる。

日の出を目に焼き付けたら、そそくさと家に帰った。いつも通りにコーヒーを淹れ、パンを焼き、目玉焼きを作り、テーブルをセットして、娘と妻を起こしに行った。

個人的なことを言えば、年の瀬から正月にかけての慌ただしくも浮き足だった空気感は嫌いではない。なかでも年の瀬のスーパーの雰囲気は好きだ。つい数日前までクリスマス一色だった店内が、クリスマスが終わればおせち一色になり、一年で最もスーパーが活気づいているのを感じる。その雰囲気にほだされるように、来る客の財布の紐はいっせいに緩む。そんな店側と客双方に感じる、なんともいえない「威勢の良さ」がいいのだ。不況や情勢不安など、世知辛い世の中にあって、年末だけでも威勢よくいこうじゃないかと、心拍を上げんとする感じが小気味よく、気付けば僕の財布の紐も緩むことになる。

この年末はその空気を感じることはできなかった。正直なところ、それが少しだけ寂しいと感じた。とはいえ、実際に元日になり、いつも通りコーヒーを飲み、パンを食べている、この世の中の空気から距離を置かれた食卓の感じも、それはそれで心地よいと思えた。

なにより、まだ幼い娘にとっては、ただただ地続きの一日でしかない。パンに手を伸ばし、蜜柑を独り占めにして、口いっぱいに一生懸命食べる姿はなんとも微笑ましく、寂しさのような感情は遠く押しやられる格好となった。

いつも通りの休日ということもあり、なんとなくカレーが食べたくなって、お昼はカレーを作ることにした。最近では週末の夜はスパイスからカレーを作ることにしているが、そういう手の込んだものよりも、大手メーカーの市販のルーを使った、ごくごく普通の家庭的なカレーが食べたいと思った。

具材を買いにスーパーに行こうと思い立つが、元日である。どこもやっていなかったらどうしようと思い調べてみると、ありがたいことにいつも行っているスーパーは元日からオープンしていた。

スーパーはいつも以上の混雑ぶりで、レジには列ができていた。並びながら、普段通りに淡々と会計をこなすレジ打ちの人たちを見るともなしに見ていた。

「元日から働かされて大変だなぁ」と思いながらも、世の中の空気と距離を置いた正月を迎える中にあって、こんな風にして、いつもと変わらない場所があることに、ふと安堵するような、もっと言えばありがたくなるような気持ちが湧き上がってきた。

そんな気持ちになるのもきっと、いつも通りの正月を過ごせないからだと思った途端、寸前にレジ打ちの人たちに向けた「働かされて大変だ」という感情がズレたものであることに気付いた。

働いている人の中には、少しでもシフトを入れてお金を稼ぎたい人だっているかもしれない。正月に帰る場所や集まる家族がなくやることもないから働いてる方が気が紛れる人だっているかもしれない。休む人が多くて無理やりシフトを組まされて本当に嫌々働いている人もいるかもしれない。

スーパーから外に目を向ければ、新年を迎えることを喜べる人もいるであろうし、その浮き足だった空気が嫌な人だっているはずだ。正月自体を過ごさない人だっているだろう。本当に人それぞれだ。わかりようがない。

これまで正月の空気に浮かれていた自分が、いつの間にかそれが「世の中」全体のことと勝手に捉え、ふと芽生えては引っ込めたレジ打ちの人への「憐憫の感情」から、「そうではない人たち」を無意識のうちに作り上げていた、そんな自身の傲慢さを恥じることになった。

でも、その傲慢さに気付けてよかった、とも思えた。

この年末年始は「奇跡」と話題になっていた。要は日並びがよく長い休暇になる、ということなのだが、「小さな怪獣」を抱える身としてはなかなか大変である。

2歳半を迎え、引き続き娘の元気さに翻弄されっぱなしだ。
どうやったって思い通りに動いてくれないことに苛立ちは起こるし、読めない行動になかなか落ち着くことができない。

「どうにもならない」と開き直れればいいのだけれど、そうもいかないのがなかなか難しい。片付けなくてはいけない家事はあるし(家は散らかる一方だ)、仕事も常に残っている状況が続いている。

仕事について言えば、昨年後半から目を配る範囲が広がった。関係者が増え、会話が急激に増えた。娘の世話もあるから、とにかく仕事の時間が足りない。結果としていろんな箇所で綻びが出た1年だった。もっとシンプルに言えば、自分ひとりではどうにもできないということを突きつけられた1年だった。同時に「まぁなんとかなるだろう(なるしかないだろう)」といった諦めにも似たような楽観的な感覚も覚えた1年でもあった。

「40歳になってようやく、自分が何もできない人間だということに気づくものだ」と言っていたのはタモリだったっけ。ほんとにその通りの境地に辿り着いた格好だ。

これを大人になったというのか、老けたというのかは意見が分かれるところだが、「わからないものはわからない」を手元に置けるようになったのは、ともすれば成長と言えるのかもしれない。

年が明けてもなお、知り合いとの会話で、電車の中で、喫茶店の隣の席で、テレビやSNSで、日々誰かが誰かに対する「思い込み」を伝えてくる。その思い込みに怒りや憐れみが伴うほど、その声は大きく強く響いてくる。

それらの声に対して「そうだ」と賛同することも「そうじゃない」とめくじらを立てることも、時には必要なことなのかもしれない。でも同時にその言葉は、自分には依って立つ「居場所」があるという安心に支えられているからこその言葉であることも、忘れてはいけないような気がする。そしてその言葉には好むと好まざるに関わらず、多少なりとも傲慢さを抱えてしまうということも、忘れてはいけないのだと思う。

「どうにもならない」ものを知ることは、その傲慢さを少しだけ和らげてくれる、ような気がする。今年もそんな「わからなさ」を愛し、付き合っていけるようになりたい。

文・写真:Takapi