年始早々、仕事がバタバタとしていた。
例年であれば、もう少しじっくり腰を据えて一年の計画を立て始めるものなのに、年明けからなんやかんやと予定が詰まっている。それはそれで正月休みで弛緩した筋肉を締めてくれるようで心地よくもあった。
その日も午前中から打ち合わせがみっちり入っていた。
娘を保育園に送り、最寄りの駅の駐輪場に自転車を停めたところで、いつもと様子が違うことに気付いた。普段はほとんど人の気配のない、線路脇の通りを歩くビジネスパーソンの数が異様なほど多いのだ。とはいえ、これはたまに見かける光景で、理由はもうわかっている。
電車の遅延だ。各駅停車の電車しか停まらない駅だが、違う路線との合流もある大きな駅が一駅先にある。電車が遅延すると、示し合わせたように仕事の装いの人達が、線路脇の通りを列をなして行儀良く歩くことになるわけだ。
その光景はさながら令和版参勤交代のようだ。それでも、本来は電車の中でギュウギュウ詰めになるはずの人たちが、寒空の下を颯爽と歩く姿には、どこか清々しさを感じる(歩いている人の表情は伺えないが、どこかこのアクシデントを楽しんでいるようにも見える。気のせいかもしれないが)。
僕は僕で、この突発的に生じる「ウォークイベント」が好きなので、喜び勇んで列に混ざって歩くことにした。そんなに好きなら健康のためにも一駅分くらい普段から歩けばいいのだろうけど、そういう気にはあまりならない。やはり突発的なイベントだから楽しいのだ。
隣駅に着き、改札の中の電光掲示板を覗くと、どうやらしばらく電車は動きそうにない。合流している路線から迂回して会社に行こうとも、そちらの改札周辺も人が溢れている。朝イチの打ち合わせはキャンセルの連絡をいれ、近くのスタバで仕事をすることにした。
ふだんとは違う場所でひとり開くパソコンの画面は、心なしか明るく見える。
PC内に溜め込んだ仕事も幾分軽い内容にも思えてくるから不思議だ。それが結果として仕事を捗らせてくれたかどうかはわからないが、いつもよりはポジティブさを伴ってパソコンと向き合う格好となった。
「ワーケーション」という言葉を聞くようになったのは数年前からだったろうか。当時は休むのか働くのかもよくわからないその中途半端な響きに、若干の苛立ちすら伴って「うまくいくはずがない」と思い込んでいたが、案外いい仕事の仕方なのかもしれない、などと思った。
そんなことがあった翌週は、年始のバタバタが嘘のように落ち着きを見せ、凪のような1週間だった。打ち合わせの件数も少ないし、夜の飲み会もなければ、溜め込んだ仕事も手元にはほとんどない。「嵐の前の静けさ」という言葉が頭を過ぎるが、一旦は頭の奥に押し込んで、年始にできなかった「今年をじっくり考える時間」に充てることにした。
机に座り、考えたことをメモしようとPCを開いてみたものの、なんだか頭が霞がかっている。PCの文字のピントが合わないし、言葉も浮かんでこない。薄く頭痛も感じるようになり、なんとも調子が悪い。せっかくの機会なのに、大した成果のない1週間になってしまった。
このような機会になってようやく「ひとりで考える」筋力が弱まっていることを知った。ここ数年、仕事を「見る」立場になり、自然と「打ち返す」ことがふだんの仕事になった結果、「刺激」をもとに条件反射のように動く技術は上がったものの、ひとりで頭に汗かくようなことができない身体になってしまったようだ。
これは気分転換が必要だと思い、妻に1日だけ夜の時間をもらい、久しぶりに(本当に久しぶりに)ひとりで過ごすことにした。
ひとりで過ごすことに決めたものの、観たい映画もなければ行きたい美術展もない。本屋に行くことも億劫になってしまい、最終的には、近所に昨年オープンしてまだ行けてなかったビアバーに行き、好きな洋食屋さんでご飯を食べることにした。
ビアバーは、早い時間ということもあり、僕の他には3人組がいるだけの静かな店内だった。これは読書が捗ると思い、読みかけの本を開いては、ビールをチビチビと飲むことにした。ただ、久しぶりのひとり時間だからか、なんだか落ち着かない。入店してまだ10分くらいなのに、読んでいた本を閉じると、早くも手持ち無沙汰な感じになってしまった。その手持ち無沙汰を埋めるようにビールを飲むペースが早まり、軽く酔ってしまった。
その体で洋食屋さんに行き、いつものハンバーグを頼んだ。人気の洋食店だけあって満席だ。賑やかさに身を委ねながら、夕食を楽しんでいたものの、今度はすぐにお腹がいっぱいになってしまった。先ほどのビールのせいかもしれないが、食べ終わる頃にはぼんやりして眠気が襲ってきてしまう始末だった。
結局行きつけのカフェに立ち寄り、コーヒーで一息入れることにした。頭は幾分スッキリしたが、手持ち無沙汰な感じは変わらず、コーヒーもすぐ飲み終わり、本を読む気にもならず、予定よりだいぶ巻いて家に帰ることになった。
「ひとりを楽しむにも体力が要る」ということを、まざまざと見せつけられた夜となった。
よく後輩を引き連れて飲み回っているベテランのビジネスマンを見るにつけ、「元気だなぁ…」などと呆れていたが、それはとんでもない思い違いだった。ひとりの方が圧倒的に体力が要るのだ。
でも、若い頃は誰かとつるんで遊ぶことが楽しいし、人脈づくりに躍起になってしまうところもあって、なかなかひとりになる時間がない。なんともうまくいかないものだ(僕だけかもしれないが)。
とりあえず「条件反射」の筋力だけは落とさないように(それが落ちたらもうおしまいだ)、来週あたり、誰かに声をかけようかしら。
文・写真:Takapi