疲れ

風邪の前兆がなんとなくわかるように「疲れ」にもシグナルのようなものがある。

あくまで個人的なものだが、そのシグナルのひとつが「濃い味」を求める時だ。それも、ただ濃い味であればなんでもいいというわけではなくて、これまで何度も食べたことがあるものが急に食べたくなる時が、疲れが出始めている時だったりする。

高校の時の部活帰りに食べていた某丼や、某ハンバーガーチェーンの特定のセットを食べたくなる、といった風だ。つまるところ「あの味」が想像できて、食べる前から満足度を保証してくれる食べ物が無性に食べたくなる。食べたことがなくて美味しいかわからないものに好奇心を持つ余裕も元気もないから、とにかく「いつものアレをくれ」状態で食べる時がたしかにあって、大抵それが疲れのシグナルになっている。

アレを手に入れたなら、もう既に味を知っているから、ゆっくりと咀嚼する必要もない。だから大抵ドカ食いになってしまう(そもそも多くの量を摂りたくなる、というのも疲れのシグナルだったりもする)。当然食べてから時間を置かずに眠気が襲ってくることになる。そのことがわかっていてもどうしても食べたくなるのだ。もしかすると「眠りたい」という本能がドカ食いをさせているのかもしれない。そうだとすれば我ながら自身の身体はよくできていると思う。

疲れがたまるほどに、ドカ食いが続くことになるから、これまた当然ながら太ってくる。太れば動きが鈍くなってまた疲れが出る。こうして疲れの負の連鎖が生まれることになる。

疲れには、身体で感じるシグナルだけでなく頭の方のシグナルもある(食べたいという欲求も頭のシグナルではないか、というツッコミは置いておく)。

ふだん通勤中はKindleでビジネス書やらエッセイ集やらを読んでいるのだが(とんと小説を読まなくなった)、疲れのシグナルが発動すると、読みかけのビジネス書を開くことができずに、どうしても過去に読んだ漫画を開いてしまう。

これは「頭版」の「いつものアレをくれ」状態なわけだが、適当にグッとくるシーンや力みなぎるシーンを選んでは、10分程度のお手軽な感動体験を摂取している。何度も読んできたページだから、はじめて読んだ時ほどの感動はないわけだが、ほぼ反射的にそういったコンテンツに時間を費やすことになってしまう。

漫画のみならず、Youtubeを開けば、昔見たドラマの名言が登場する「切り抜き」動画なんかもどうしても追いかけてしまう(権利の問題はわかっていても、知っているものが目の前を通過するとどうしても追いかけてしまうのだ)。これも「いつものアレをくれ」状態に陥っている時に起きやすい。

忙しさとは「心を亡くすこと」とはよく言ったもので、疲れてくると本来では感じるはずの喜怒哀楽のような大きな心の揺れが目減りしてしまう。だから本能的に何かで帳尻を合わせるべく「いつものアレ」を欲しがるような気もする。

そういった意味では、疲れている状態は「くたびれている」状態ではないということなのかもしれない。疲れている、と、くたびれている、は似て非なるものだ。くたびれていると、もう本当に何もすることができない。ぼそっと「ああ、疲れたな」と呟いてしまう状態である。これはもう余計な刺激を入れずに休養するしかない。疲れのシグナルが出ている状態とは、心身のどこかが突出して「活動過多」になっているがために、そのバランスをとるために違う刺激を入れなさいと、脳なのか本能なのかが「内側」から訴えている、そんなイメージだ。

ダラダラと書いてしまったが、要はここ数ヶ月(特にこの1ヶ月)が「いつものアレ」状態が続いているわけだ。それは過去最高の体重を更新し、積読が5冊以上溜まっている状況を見れば一目瞭然だ。

そんな状態で、家族で沖縄旅行に行った。

GW最中であり3歳児の娘もいる中での旅行は、疲れている身にはとても負担が大きい行事だ。行くまでは楽しみよりも不安が勝っている状態だった。

そんな旅行ではあったが、結論からいえばとても良かった。仕事から離れ、旅行を敢行することに集中できた3日間は、ふだん疲労させている箇所とは違う箇所が疲労したようで、そのバランスがうまくちょうどとれたのか、道中とても良い具合に過ごすことができた。

2泊3日の旅行を終え、帰路の最後の最後、最寄り駅に着いた時に、今しがた乗っていた電車の網棚にリュックを忘れたことに気が付いた。

駅員さんが方々手を尽くして探してくれたおかげもあり、約1時間後には見つかった。ただ、発見された場所は最寄りの駅から片道1時間の駅にあり、そこまでは自分で取りに行かねばならないということだった。

既に夜9時だったが、行けば日をまたぐ前には帰ってこれる。ふだんなら躊躇する時間だが、迷わずそこから新たな旅にひとり出かけることになった。さすがに移動中の電車ではウトウトするかと思いきや、Kindleを立ち上げ、積読していた本を開き、往復の時間で1冊読み終えてしまった。

そういえば、とひとつ思い出した。高校の陸上部時代、練習で追い込んだ次の日は、完全に休養するのではなくバスケやサッカーなど、別のスポーツを遊びがてらやるように指示されていた。たしか「積極的休養」と呼んでいたように思う。身体が悲鳴をあげるほどの練習のあとに完全に休養してしまうと、むしろ疲れが溜まって抜けづらくなる。だから身体を動かして別の刺激を入れておく方が疲労の回復を早める、といったようなことを言っていたように思う。

もっと早く思い出したかった。

ふだんの疲れとは違う疲れを得ること。遊ぶように刺激を入れること。こうして文章にしてようやく理解した。これはまさに「趣味」ではないか。だからいい年齢の人で元気な人は多趣味な人が多いのか。

刺激になるような趣味を見つけることが、これからの目標になりそうだ。

文・写真:Takapi