英気を養う

5月は出張が4件あったり、講演が2回あったりと、GWを挟んだとは思えない稼働ぶりで、いよいよ英気を養わないと体力が(気力も)もたないかもしれないと感じ、5月後半に1日休みをとった。

とは言え、遠出をするほどの元気はなく、とりあえず近場の箱根の温泉旅館に1泊することにした。

レンタカーでせいぜい2時間程度の距離だ。ただ、久々の運転ということもあって(小さな娘を後ろに乗せているプレッシャーもあって)、旅館に着いた頃には目と肩の張りがすごく、すぐに大浴場に向かった。この時間帯の大浴場は大抵貸切の状態であるのがいい。この日もそうだった。硫黄の香りが心地よい温泉に浸かると、「ふわぁ」だか「ぬわぁ」と言った大きなため息が出た。幾分身体が生き返った気分だ。

部屋に戻れば冷蔵庫にある瓶ビールを開ける。温泉に入ったことで、ここ数週間の諸々溜め込んだ疲れが一気に出たのか、ビールを飲み終える頃にはずんと身体が重くなり、そのまま眠りに落ちそうになった。とは言え、そんなことは元気盛んな1歳の娘が許すはずもなく、そこから小一時間旅館の部屋の中を娘と散策することになる(広い部屋でよかった)。そうこうしているうちにあっという間に夕食の時間を迎えることになった。

品数にして10点、時間にして2時間程度の、幾分大袈裟な懐石料理をいただいたら、お腹がいっぱいになり過ぎて、なんだか余計に疲れてしまった。夕飯を済ませた後は、特段することもなくすぐに床についた。

翌朝は旅館そばの芦ノ湖畔を少しだけ散歩した。天気予報では、午後から急激な雷雨があるとのことだったので、チェックアウトしたらどこにも寄らず慌ただしく帰路につくことにした。途中昼飯がてらサービスエリアに寄りカレーを食べ(なぜかサービスエリアは味の濃いものを求めてしまう)、若干の胃もたれを伴いながら、なんとか雨が降り出す前に家に着くことができた。

家に着き、一息つこうとソファに座ったら、そのまま気絶するように小一時間ほどうたた寝をしてしまった。

温泉で英気を養うつもりが、身体を追い込む格好になってしまった。英気を養うのは案外難しい(温泉旅館はとてもよかったのでいつかまた行きたい)。

温泉の翌日には仕事で講演があった。通常の講演は、パワーポイントの資料なんかを用いてひとりで数十分話通すか、ファシリテーターの方と対談形式で進めるかの2パターンなのだが、この回は同じような立場の3名で座談会のように話すような会だった。

出張が続いた後だったこともあって(温泉疲れもあって)、会場に向かう足は重い。幸い喋る人数が増える分、気は楽だった。講演前に出演者と名刺交換をした後も(全員初対面だ)、雑談なんかを交えながら講演時間を待っていた。

前の講演を脇で聞いている時、一緒に出演する方(多分僕と年齢の近い男性だ)が小さな声で「そのスニーカー、欲しかったんです」と話しかけてきた。そのスニーカーは、僕がいつも服を買っているセレクトショップの店主が「実は店頭には出していないとっておきがあるんです…!」と、これまた小声で教えてくれたデッドストックのシューズだった。

これまでこのシューズに触れた方はいなかったし、知っている人などほとんどいないと思っていたから、そんな風に気づいてもらえるとなんだか嬉しくて、直後に待っている講演のことを忘れ、しばしひそひそ声でスニーカー談義に華を咲かせることになった。

講演が終わると参加者で打ち上げがあった(ようやく“コロナ生活”から抜け出たことを感じる)。その場でも、その彼とまた話すことができた。スニーカー談義に留まらず、僕の眼鏡(その時はLINDBERGを着けていた。もちろんLocalで買った眼鏡だ)のことも気になっていたようで、「良い眼鏡です」とコメントを添えてくれた。

身につけているものをそんな風に「わかって」話してくれる人など、これまでほとんどいなかったものだから、思わず前のめりになり、周りの参加者に目もくれず話し込んでしまった。

帰り道、身体が軽いのか若干足早になっている自分がいた。講演前の重たい身体からは信じられない回復ぶりだった。

どうしても疲れは「たまる」ものと思ってしまうから、それを「抜く」「減らす」ような方向に頭を向けがちだ。それはそれで必要な気もするけれど、この年齢になって感じるのは、普段の仕事では使われないエンジンのようなものが身体のどこかにあって、何かのきっかけで起動すれば、途端に仕事の疲れと相殺してくれるということだ。そのエンジンはいつでも起動待ちの状態なのだ(むしろ疲れている時ほど起動しやすい)。「趣味を持ちましょう」という、いわゆる一般的な号令も、この「別のエンジン論」として捉えると合点がいく。

英気はそもそも「元気」のような意味合いだ。そういった意味では自分にとって「元気の源」となる「別のエンジン」は何なのかを知っておくことが(ついで言えばいくつも持っていることが)、英気を養うことにつながるということなのだろう。

この夏も英気を養って乗り越えていきたい。

文・写真:Takapi