行きつけの近所の町中華がしばらく休業していた。
ご主人と奥様、その息子夫婦(婿かもしれない)の4人で切り盛りしているそのお店は、近所でも評判のお店で(雑誌やメディアでも取り上げられているから全国的な名店とも言える)、行けばいつも行列が待っているような繁盛店だ。
ご主人の体調がすぐれない、というようなことを店のシャッターの貼り紙で知ったのはもう半年以上も前だ。その後しばらく休店状態が続き、一時は餃子のテイクアウトだけ再開、といったようなこともあった。
このまま閉店してしまうのかもしれない。そんな不安もあり、お店のSNSアカウントを時折覗くようにしていた(Instagramのアカウントも休店前後から始まっていた)が、ここ最近は通常通りの営業を再開したとのことで、先日久しぶりに昼食時に足を運ぶことにした。
暖簾をくぐり厨房を見ると主人の姿がない。丸まった背中で中華鍋を一心不乱に振るう、このお店の象徴の姿が見当たらない。刹那、違うお店に来たような錯覚に陥り、いろんな想像が頭をかけめぐってしまった。でも一旦それは脇に置くことにして、カウンターに腰掛けた。
いつものメニューを頼み(チャーハン、半ラーメン、半餃子)、改めて厨房をそっと見やると、息子さんがご主人の立ち位置で中華鍋を握り、ご主人の奥様も厨房で調理に加わっていた。改めて見れば徐々にその布陣への違和感は薄れていき、あぁいつものお店だ、と思い始めていた。でも半年前から空気は確実に変わっている。ご主人が大黒柱として守ってきた厨房は今、「チーム」として助け合いながら守っている、そんな空気を感じ取った。
出されたチャーハンも餃子も、以前となんら変わらない「いつもの味」だった。それはとても嬉しかったけれど(涙が出そうになるほど)、食べている間、少しだけ寂しさが腹の奥の方に居座っていた。それは多分、大黒柱が不在でもつづけられるということへの感傷なのだろう。この年齢になって芽吹く感情もあるようだ。
同時に、お店は「いつでも終わる可能性がある」という、ごくごく当たり前の事実に打ちのめされるような思いにも襲われた。お店はいつか終わるかもしれない。そのことに思い至ると、なぜだか「お店と客」という匿名的な距離感が消滅して、そのお店の物語に組み込まれるような感覚に陥った。もう少しわかりやすく言えば、自身の一部を「預ける」ような感覚とでも言えばいいだろうか(余計わかりづらくなったかもしれない)。
なんとも大袈裟な話だが、実際にそんな風に感じたのだ。
昔から雑誌やSNSや友人から教えてもらったお店をGoogle mapで調べては、ブックマーク機能を使って「ピンを立てる」ことが趣味でもある。数えれば既に1,000件以上のピンが日本中に立っている。
感染病もようやく落ち着き、さて飲みに行こうかとGoogle mapからいつかの「行きたい」を開くと、「閉業」という文字を目にする機会が増えた。赤い文字で知るその事実は、行ったことがないお店でも、閉業に至るまでのことをいろいろと想像してしまう。
町中華のように引き継がれる店もあれば閉業してしまうお店もある。
お店が長くつづくというのは実は奇跡のようなことなのだと、閉業になったお店のピンを外す作業をしながら思うことが増えた。
「Local」が10周年を迎えた。
そんなことがあった折に10周年の報せを聞いたものだから余計に、すごいなぁと思った(文字にするとなんとも軽い感想に映ってしまう)。
そしてつい自身を振り返ってしまったが、僕には10年続けられたものがひとつとして思い浮かばなかった。仕事は5年周期で変えているし、趣味も基本的に続かない性分なのだ(コラムを書き終わった後、結婚が10年続いてることに気がついた)。
僕がはじめて「Local」に行ったのはもう6年前くらいだったように思う。それからコラムを書かせてもらうようになって5年が経っている。そうこうしている間に「Local」の横には新たに雑貨屋さんもオープンした。「つづけること」をまた新しくつづけていることには、すごいを通り越して畏敬の念すら生じてくる。
「10年前に今の姿を想像できましたか?」と、先日「Local」に遊びに行った際に矢田さんに聞いた。少しの間の後、矢田さんは「こんなに仕事しているとは思わなかったな」と笑った。その表情がなんとも言えず良かった。少しはにかんでいるようにも、少し苦笑いしているようにも見えた。子どもと大人が同居した、遊び心と覚悟が入り混じったような、一言では形容できない表情だった。
でも、その表情の中に10年間があった。10年後もあった。
そしてなにより、とても格好良かった。
きっと、10年後にも「こんなに仕事しているとは思わなかったな」って矢田さんは言うんだと思う。
その姿がまたかっこいいんだろうなぁ。
改めて、10周年おめでとうございます。
また遊びに行きます。お酒も飲みましょう(ほどほどに)。
ついでに言えば、飽き性な僕がはじめて10年続けられたものが、このコラムになれたなら、とても嬉しい。
文・写真:Takapi