野望

「やぼうはありますか?」
仕事関係でインタビューを受けている時、「それでは最後に」と前置きされた後の質問だった。

突然放り込まれた「やぼう」が「野望」に変換されるまで、しばらく時間がかかった。それほど久し振りに聞いた言葉だった。「展望」とか「希望」ならよく聞く。この事業の来期の展望は?とか、あなたの今後のキャリアの希望は?とか(書きながら胃が痛くなってきた)。だが「野望」という言葉には久しく触れていない。

なので思わず「展望ではなく?」と聞き返してしまった。「いや、展望ではなく野望です」とスッパリと言う。どうやら展望ではないらしい。

うーんと考え込んでしまった。
サラリーマン人生の中で「野望」を聞かれたことがない。いや、そもそもこれまでの人生で「これが僕の野望だ」などと少年漫画よろしく掲げたことがあっただろうか。

あまり黙っていると「野望すら話せないの?」と呆れられそうだったので、結局なんとなく繕って話し終えた。

インタビューを終え、ひとりになってからしばらく「野望」という言葉に引っ張られていた。展望なら言えるのに野望が言えなかったのはなぜだろう?と、なぜだか少し落ち込んですらいた。

野望と似た言葉に野心がある。このふたつの言葉に共通するのは、溢れんばかりの「自我」だ。「野」がつくと途端に「個人的」になるようだ。なにがなんでも自分の意志を通す、そのためなら周りのことなんて知ったこっちゃない、という強さが「野」にはある。野放図という言葉もあるが「手入れのされていない」わがままさが「野」には宿る。そしてそれは、社会人になって奥の方にしまわれた(去勢された)感情でもある。

インタビューで答えられなかったのは、「野望」に宿るそんな荒々しさに気圧されてしまったからだろう。そして落ち込ませた要因は、もうそれは手元にないという事実だ。

僕の野望は今どこにしまわれているのだろうか?
野望と言わずとも野心くらいは、残り火のようにどこかでくすぶっているのだろうか?

突然入れられた打ち合わせの内容を見ると英語で件名が書かれていた。海外の会社との打ち合わせと書いてある。打ち合わせを入れた人に聞けば、当日は英語の会議になるという。一気に青ざめる。英検5級の僕はどうしたらよいのか?その空気を察したのか「あ。大丈夫です、通訳入りますから」とのことで、ほっと胸を撫で下ろした。

当日オンラインで会議に入ると、矢継ぎ早に英語の談笑が始まる。自身のよそ者感に余計にソワソワしだす。何も話を振られてもいないのに手が汗ばむ。

はじめにプレゼンしたのは、かつて一緒に仕事をしたことのある大先輩だった。年齢が上という理由だけで、きっと日本語で話すのだろうと思った矢先、英語で自己紹介を始めたから驚いた。

その英語は、英検5級の僕でさえ聞き取れる英語であった。カタコトまでいかないが、それでもネイティブでないことはしっかりわかる発音だった。それでも、ちゃんとその場でその英語は伝わっていた。その証拠に自己紹介の最後に放り込まれたジョークにしっかりその場が湧いていたからだ。

きっと、この打ち合わせにかけて相当準備と練習をしたのだろう。画面越しではあったが、その熱量と緊張感はしっかりと感じ取れた。オンラインでも気持ちの昂りというのは伝わるんだということがわかった。

つたなくとも、彼の英語には野心が見えた。それはしばらく僕が忘れていたものだった。不意打ちのその熱量のようなものは、ジンと鼻の奥をくすぐるほどだった。

後日たまたま社内で大先輩を見かけ声をかければ「通訳の人がちんたらしてイライラしたよ」とギラギラした目で言い放った。思わず笑いそうになってしまったが、大先輩ながら「いいぞ、もっとやれ」と思ってしまった。

娘の言葉の習得の勢いがすごい。
日々喋れる単語も増えていき、最近では「ママ、ごはん、おいしい」と単語をくっつけて喋れるようにもなってきた。

言葉を覚えると意志もついてくるようで、次第にやりたいこと、やりたくないことの意思表示がハッキリしてきた。

何かを促そうとしてもヤダ!とハッキリ言ったり、「かきかき」と言ってクレヨンを指差したり(絵を描きたい)、靴下を履こうとして履けなくて手伝おうとしたら泣いたり(自分でやりたい)、そんな風にして自我を振り回しては、少しずつできることが増えていっている。

その仕草や言葉たちは、野心と呼ぶにはまだ頼りないけれど、明確な「やりたい」(やりたくない)があって、それは圧倒的に個人的でもある。

ああ、そうか。とひとつ気づいた。
野望や野心のひとつ手前には「ピュア」がいるんだ、と。

ピュアであれば少しは手繰り寄せることができるかもしれない、とも思った。
年末にひとついい気づきができた。

今年も1年が終わる。
このコラムに1年間付き合ってくれてありがとう。
特に来年の抱負はないけれど、なるべくピュアに言葉を綴っていきたいと思っている。

よいお年を。

文・写真:Takapi